プロフィール

はじめまして、こんにちは。藤乃えみです。
この度は、「元教師が一年でギャグ漫画家になった話」にお越しいただきありがとうございます。
こちらの記事では、私のことや、ブログについてのことを綴っていきます。

藤乃えみってこんな人

フリーランス 漫画家|アシスタント
静岡県出身
A型

先生時代

トップページのプロフィールにもありますが、大学卒業後に中学校で1年、小学校で2年間先生をしていました。
子どもは好きだし、仕事にやりがいは感じていましたが、ふとした時に
「自分のやりたいことは本当にこれなのかな?」と、最初の2年はもやもやしたものを抱えていました。

3年目くらいから、たくさんの子ども達を見ていくうちに、足が速い子、字が上手な子、ピアノが上手な子、頭の回転が速い賢い子、本が好きな子、絵を描くのが好きな子、と
子ども達にはたくさんの才能の種があって、これからいくらでも、何者にでもなれる可能性があることが、素晴らしいなと感じると同時に、
あれ?じゃあ自分はどうだったのかな?」と考えるようになっていきました。

好きなこと

私には兄弟がいて、兄の影響で、物心ついた頃には週刊少年ジャンプがいつもかたわらにありました。

絵を描くことも大好きで、小学校4年生ではじめて「なかよし」を買ってもらってからはセーラームーンの模写をよくしていました。
小学校の音読カード(B4の厚紙を半分に折ったやつ)の表紙にセーラームーンを描いて友達にほめられたのが嬉しかった子ども時代です。

おそらく、人より絵を描くのが得意、と自覚をしたのがこの頃です。

当時はただ漫画を読んだり、イラストを描いたりすることが好きで、漫画家になりたいとは微塵も思っていませんでしたが、高校の美術部に入ってから私の人生が大きく変化しました。

美術部には漫画研究班というのがありまして、毎年文化祭でオリジナルの漫画冊子を発行していました。

文化祭直前には、徹夜した部員達が虚ろな目で原稿を描き、職員室の印刷機を占領してでき上がった原稿を片っ端から印刷、裁断し、空き教室の机にずらっと並べ、指の油を根こそぎ持っていかれながら一枚ずつ取り、最後はでっかいホッチキスで留める、という、割と本格的な漫画冊子です。

これがはたから見ていてとても楽しそうだったのです。
目の下にクマを作りながら原稿描いていた友人達がキラキラして見えました。

高2の時にイラストだけで参加させてもらい、高3ではじめて漫画を描きました。
といっても、当時好きだったバンドの曲からイメージした漫画を数ページだけでしたが。
普通に授業を受けて予習復習してテスト受けて〜の高校生活に加えての原稿作業ですから、それはもう大変でした。
大変でしたが、とてもとても充実していて楽しかったです。

この時はじめて、漫画ってこうやって描くんだ、漫画描くって大変なんだな、でも達成感半端ないな、と漫画を描く楽しさを味わったのでした。
そして雑誌の漫画賞のページをよく読んでいたのもこの頃です。

が、特に漫画家になるために何か行動するでもなく卒業し、大学進学後も特に何もせず、先生になりました。

やらない後悔よりやる後悔

話を戻しまして、自分のことを振り返ると、絵を描くことが大好きで、漫画が大好きで、本当は漫画を描く側になりたかったんだと思います。

でも現実的には難しくて、それならせめて、絵が描けることを活かそうと、学校の先生への道に進みましたが、本当にやりたかったことではなかった。もやもやの原因はそこでした。

このまま「漫画を描きたかった」気持ちに蓋をして先生を続けるのか、思い切ってやりたかったことに挑戦してみるのか、たくさん悩みました。が、
やらないで後悔するよりやって後悔した方が断然いい!という結論に至り、教員生活は3年で終了しました。

当時親にも兄弟にも呆れられましたし、どうせ漫画家にはなれやしないと思われていました。
逆の立場だったら私もそう思っていたかもしれません。が、私には夢を応援してくれる友人達がいました。
心強かったです。

そして、これはちょっと生々しい話になりますが、貯金がそこそこあったのです。
ほぼ学校と家を往復するだけの日々で貯めたお金が。

学校の先生は薄給と思われがちですが、しっかりしたお給料を頂いていました。ただ労働量を考えると、もっと支払われても良いのになとは思うことはありましたが。

ここだけの話ですが初任の中学校で部活顧問をしたら休日出勤のお給料が1,000円ちょっとだったんですね。
朝から昼過ぎまで部活指導をして1,000円ちょっと。時給ではなく日給。ほぼお昼代です。
今はその辺り改善されたのか分かりませんが、休日も熱心に部活指導されている先生方には頭が上がりません。

話が逸れました。
とにかく親には、貯金が尽きるまでは夢を追いかけたい、チャレンジしたいと説明し上京を決めました。

このブログについて

こうして漫画家チャレンジがスタートしたのでした。

このブログでは、上京後、投稿作を描いたり、それを出版社に持ち込んだり、漫画賞に応募してみたり、アシスタントをしてみたり、壁にぶつかりながら悩んで、乗り越えて、また壁にぶつかって悩んで、乗り越えてを繰り返しながら、漫画家デビューに至るまでのことを綴っていきます。

今から15年ほど前のお話なので、現在の持ち込みや漫画賞の形態などとは相違があるかと思いますが、「へ〜昔はそうだったんだー」くらいの感じで読んでもらえたら嬉しいです。

そして、私の経験したことが、今まさに投稿で悩んでいる方や、何かやりたいことがあって、でも踏み出せない方の背中をちょっとでも押す手助けになれたらいいなと、思っています。

長くなりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。


藤乃えみでした。


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